被災地視察 宮城県

宮城県の被災地視察に行ってまいりました。
昨年5月に、宮城県・岩手県に行ったのですが、
震災から間もない昨年5月から、震災後約1年になる今がどうであるのか、
現地の状況を視察してまいりました。
◎ 多賀城市仮設住宅視察 
昨年は、多賀城市にある避難所にお邪魔しましたが、そうした住民が今どうされているのか知るために
多賀城市にある仮設住宅を訪れました。
1DKか、2DKのプレハブが割り振られています。
1DKだととても狭いのが印象的でした。
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寒いので、後から造作して外は二重にして物置にもしています。
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当然に寒い時期がくるわけですから初めから防寒も意識されていなければなりませんね。
仮設住宅の自治会の皆様と懇談しまして、新しいコミュニティの中で自治会組織を作る苦労などを伺いました。住民の方だけでなく、自治会組織を支援するNPO、仮設住宅の管理会社がそれぞれ協働して運営しています。人が暮らすコミュニティであり何らかの行政への要望が発生するために、住民は組織として行政と交渉する。本来の自治会のあり方を感じました。
一方で、全ての人がコミュニティに属したいと思っているわけではなく、
住民把握の基礎となる名簿の提供は3分の1しか同意が得られていないそうです。表札をおかない人も多い。
それでも、自治会役員としてはコミュニティを盛り上げるべく、NPOや支援企業などと連携してイベントを開催しています。もちつきのイベントが集客力も高く、コミュニティ活発化の起爆剤になっているという事実が印象的でした。
この多賀城市は仙台近郊で市街化が進んだ都市です。住民のみなさんはこれだけの津波を全く想定していなかったと言います。 津波により川が土砂で決壊。つまり海と陸から水が押し寄せてきました。
 港湾部の石油コンビナートの火災。
 下水も海からの逆流で溢れ出す。
 工業港のため津波によってヘドロが流れてくるので普通の軍手では撤去できない。
このようなことは、(東京湾は津波に強いというものの)我が大田区も同じような惨状が予想されます。
また、災害備蓄品も低地部のものはダメになってしまう。多くの人が避難する避難所では、当然多くの食料が必要になるため、暖かいものが食べられない。ガスの復旧は最後になるため、暖かい風呂には入られない。地震で防災無線がダウンしてしまったため、情報伝達は街宣車が担っていた。など、不便な状況をお話しいただきました。
住民の方に介護を受けられている方もおられ、障害のある方の課題として、
 避難所での、健常者との同居は困難。極限状態では配慮できない。
 町会が障害者のリストを持っていたが、救援には回らなかった。
 支え手であるケアマネージャーなどにも緊急車両対応が必要である。(ガソリンがなくて困った。)
と、実体験に即してお話しいただきました。 
仮設住宅の視察でしたが、自宅にいる被災者のことも心配されていました。仮設住宅は、企業・ボランティア・メディアがターゲットとして取り上げてくれるが、自宅にいる被災者へは救いの手が差し伸べられていなません。
◎ 東松島市大田区ボランティアセンター視察 
あまり滞在時間がとれませんでしたが、ボランティアセンターの実情を視察しました。
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海風が吹き込む寒い中で、ボランティアの皆様がご苦労されていました。拠点をおいて、継続的に取り組まれていることが被災地で評価されています。
津波で被災された住宅が多い地域です。半壊の状態でも、自宅に暮らす方々がおられます。
大田区からのボランティアは、そういった住民の求めに応じてがれきの撤去などの活動をしております。
今では、孤立しがちな自宅にいる被災者を励ますべく定期的な訪問・傾聴活動をしています。こうした、継続的・定点的な活動はココロのケアに大切なことです。
被災からほぼ1年となるこの時期は、自宅復帰が決まり東松島市に戻ってこられる方もいますが
3割程度の方は、もう東松島市には戻るつもりがないそうです。たかが、3割のような気もしますが、それだけの方が故郷を去る決断をされたのは大きなことだと感じました。
◎ 宮城県議会議員中島もとはる氏との面談 
宮城県の24年度予算は1兆6,800億円と前年比2倍。
9,000億円が震災対応にあてられます。
基幹産業である、農業・漁業の復興に取組みます。農地は14,000haが津波の被害をうけ、除塩をするわけですが、23年は排水施設が被害を受けていたり、水路ががれきで埋まっており、十分に進んでいません。24年度からは年間3,000ha規模で除塩を実施するとともに、100m四方の大規模農地化を進めます。
漁業の中心である港は、仙台以外は未復旧。港が復旧しなければ、それに伴う産業(かまぼこ製造業など)もストップしたままです。漁船10,000隻が消失していますが、3月までには3,000隻復旧させるほか、特区の導入により、漁業復旧のペースを早めます。
議員として、注目していたのは、災害時の議員の役割宮城県議会は、発災時は会期中であったものの、無期限延期となってしまった。
発災時は、通信・移動手段が十分確保されないため、議員が活動すること自体も難しい。
役所組織を理解している人間として、避難所との情報連携につとめるのが中心になる。
もちろん、そうした現場を体験した中で、地域の復興計画を行政とともに作り上げることになる。
仮設住宅でも言われたが、現場のより多くの情報を行政は知ってほしいとのことである。そこで、情報収集につとめるのは、議員らしい活動といえます。
ただ、仮設住宅では、避難所含め地元議員はほとんど顔を見せなかった…との厳しいご意見もいただいた。
自分の生活も困難な状況の中で、何ができるか。
非常時であればあるほど、自分の身を顧みず、世のため人のため、現場を回るのが政治家である。